久しぶりの学校
新学期も始まり、小中学校の入学式も終了。
我が子たちも学年が1つ上がることとなりました。
長男と次男は、それぞれ学校を卒業し、今は晴れて自由の身。
ということで新学年を迎えたのは長女と次女のみ。
長女は中3、次女は小4。
で、本日は私もお休み。
というわけで、担任の先生に顔合わせとご挨拶にそれぞれの学校に向かいました。
毎度毎度、この時期はいろいろと大変。
新年度の提出書類やら、我が子への接し方などへのお願い等々、学校へ頻繁に足を運ばねばなりません。
去年は、そうなるのを見越して、3月中に学校と連絡を取っていたんですが、今年は私も新しい職場に移ったと言うこともあり、少々、出遅れました。
ま、すんだことは仕方ありません。
とりあえず最初に訪れたのは小学校。
新しく次女の担任を受け持つこととなった先生とご挨拶。
その後に中学校へ向かう予定もあり、ゆっくり話す時間もありませんでしたが、登校を促す言葉や、次女の不登校に対して、否定的な話しは出なかったので、とりあえずは一安心と言ったところです。
続いて中学校、コチラはちょっと不安。
長女は、小学校一年から中学二年まで、ずっと女性の担任でしたが、新たに担任の先生になられたのは男性。
まあ、だからダメって訳ではないのですが、どうも、これまでとは勝手が違う。
長女の体調も芳しくなかったこともあり、今日のところは、顔を合わせて少し話をしただけでしたが・・・
それぞれの価値観
いや、別にこの先生が良い悪いというわけではなく、第一印象としては、ちょっと、我が家の考え方とは合わないかなって感じで(^_^;)
強制的な言葉ではないのですが、言葉の端々に、学校へ来ることが長女にとって良いことなんだよってニュアンスが、しばしば。
う~ん、なんか違うんですよね。
『学校に来ることが長女にとって良い事なんだよ』って事は、とりもなおさず
『学校に行けていない今の君はあまり良くないよ』と言う感じにも受け止められる。
私が常々思うことは、まずは今現在の子供たちを肯定する事が、第一だと言うこと。
そこから、子供たちは前を向いて歩き始めることができるんだっておもっています。
人は大なり小なり、他人から自分を変えようという意思に対して、抵抗を感じるものだと思います。
なぜならばそこには、今の自分への否定があるから。
自分を否定する人に、快く心を開けるのは、なかなか難しいのではないでしょうか?
『学校に来なければ、楽しい思い出や、たくさんの友達ができない』
『だから、お子さんが可愛そう』
これまで、そんな言葉が幾度と無く、先生から聞かされた言葉です。
その都度、
『ああ、そうかもしれないな』
と、受け止めてしまう自分がいました。
でも最近はちょっと違う。
『思い出は、学校以外でも十分作れる』
『友達が、たくさんいなければ寂しいかというと、必ずしもそうではない。本当に信頼の置ける友人が、一人か二人いればそれで十分ではないのだろうか?』
『そもそも、一人の方が落ち着くから、その方が良いという考え方もある』
そんな風に思うようになりました。
幸せの形って、人それぞれだから、どうなったら幸せなのかはその人にしか分からないものだと思います。
そういった意味で、多くの先生方は、学校に来ることによって幸せになれるんだという経験を積まれ、そういった価値観に至ったのだと思います。
私はそれを否定するつもりもありません。
ですから、私や私の子供たちの価値観も否定しないでいただきたい。
長い家族の時間の中で、学校へ行かないことが、私たち家族が幸せになるための選択だった。
子供たちが学校に行くことよりも、子供たちが笑顔で日々を過ごすことを最優先に選んだ。
それが私の価値観です。
相反する価値観を、無理に結びつける必要は無いのだと思います。
今日は、時間も無く先生方とゆっくりとお話もできませんでしたが、一度、その時間を作る必要はあるのかもしれません。
お互いが、お互いの価値観の上で、幸せになっていくために・・・
最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>
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