我が子たちの卒業式


ここ数日、暖かい日が続き、春の訪れが感じられるこの頃。もうすぐ、卒業式。

我が家でも、長女が小学校を卒業します。

思えば、長男、次男も、不登校のままこの日を迎え、通過していきました。

長男は、小学校6年生の時は、登校できていたので、そのまま卒業式に出席していました。中学校の時には、完全不登校で、式には出席せず、校長室で卒業証書を受け取りに行きました。詳しくは、コチラの記事で↓

『長男の中学時代 卒業式』

いやあ、一悶着あった卒業でした(^_^.)

次男は、去年小学校を卒業しました。6年生も不登校中ではありましたが、卒業式の練習には参加し、式にも出席しました。

今年卒業を迎える長女は、式には参加したくないということで、式の練習にも出ていない状態です。

同じ不登校の兄弟でも、三者三様、いろいろな形で、卒業式を迎えたり迎えようとしています。

ここで親として、大事に考えていることは、最終的には本人の意思を最優先するという事です。親の思いや、世間体、先生からの言葉、等々、いろんな思いはありますが、式に出るか出ないか、最後に決めるのは本人たちであり、それを尊重し奔走するのが親の務めだと思います。

思えば、去年の次男の卒業の時も、妻は毎日、式の練習の時間を逐一確認し、その時間帯だけ学校まで送り向かいをしました。約半月ほどだったと思いますが、大変だったと思います。

この卒業の日を迎える前にも、卒業アルバムの写真撮影であったり、卒業文集の作成であったり、普通に登校しているお子さんたちにしてみれば、大したことではないのでしょうが、不登校の本人や親にしてみれば、結構大変な時期でもあります。

今現在も、

そういったことで悩まれている子供さん。

心身ともに疲れておられる親御さん。

対処に追われ忙しい日々を送られている先生方。

多いと思います。でも、やっぱり子供の気持ちが最優先されるべきではないでしょうか?

先日、ウェブ上でこんな記事を読みました。

『不登校新聞 不登校80人、卒業式に一番多い感想は?』

80人という、統計的には少ないものかもしれませんが、やはり、本人の意思最優先されなければならないと感じました。

最後の一文をこちらにあげさせていただきます。

 『全体を通して見受けられたのが「最後だから卒業式に出てほしい」など、周囲の求めに応じるかたちで態度を決めた者からは否定的な意見が相次いだこと。
卒業式を理由に、本人の意思に反した対応も多々見られた。一方、「式に出られるか、出られないかは自分でもわからなかった」という感想も当事者から寄せられた。
偽らざる本音だろう。当事者は複雑な心境を持つこともある。周囲がすべきは、やはり本人の意思の尊重ではないだろうか。
卒業式当日まで本人が出欠を悩んだとしても、結論が何度も変わったとしても、「いま」の意思が周囲から尊重されること。それが本人の納得、ひいてはその後の肯定的な捉え方へとつながっているように思える。(石井志昂)』

ご拝読、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

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我が子たちの卒業式」への5件のフィードバック

  1. 初めてコメントさせていただきます。
    こちらへは時々お邪魔させていただいています。
    子ども達をおおらかに見守られている姿に見習わねばと思っています。

    少し早いですが、長女さんのご卒業おめでとうございます。

    わが家も息子達二人共卒業を迎えます。
    長男は、卒業式には出席しませんし、卒業証書を受け取りにも行きません。中学には2度と行きたくないし同級生にも会いたくないのですね…
    見たくない、載りたくないと言っていた卒業アルバムもキャンセルしました。

    卒業式が近づくにつれ、卒業証書等をどうするかについて、連絡を待つのかこちらから連絡するのかを考えモヤモヤしています。
    でも、本人はやっと解放されるとホッとしているように思います。
    親としては、言葉には現しきれない複雑な思いがたくさんです。

    次男は、いろいろありましたが元気に通えるようになりました。
    今は卒業式に向けての準備や練習が負担になっているようで「学校がしんどい」と言っています。
    校歌と君が代を含めて7曲歌うんだそうです。呼びかけも例年にない工夫があるそうです。
    担任は子どもの気持ちに寄り添える良い先生なんですが、先生の思いや熱さが達成するもの作り上げるものへの完成度の高さにも現れていて、結果子ども達の負担が増えてしまっているように思います。

    長男の不登校を機にたくさんの気づきや学びがあり悩むことも増えました。

    今思うことは、卒業式は誰のためにあるのか?
    親を感動させるためのものではなく、何かを達成させるための場でもなく、成長を喜び新しい世界への旅立ちを祝う場で主役は子ども達にあるべきではと…

    次男の卒業式はきっとたくさんの方の心に残る感動の卒業式になるんだろうなと思いながら、教師(大人)の目線で作られる感動の予感と毎日しんどそうに登校する次男の姿に複雑な思いが渦巻いています。

    長々と自分の話をしてしまいすみません。

    ついつい、親の思いや願いで無理をさせてしまいがちな私ですが、子どもの気持ちを大切にしながら前に進んでいきたいと思っています。

    1. でめきんちゃんさんへ

      初コメント、並びに当ブログをご拝読いただきありがとうございます。

      まずは、お二人のお子さんのご卒業、おめでとうございます。
      親として、大変共感できるコメント、感謝いたします。

      私も、卒業式というものは、子供たちのためにあるものであり、大人たちの自己満足のためのものではないと考えております。
      親や教師のためではなく、本人たちが人生の上で、一つの区切りをつけるためのもの。
      私自身も子供時代、連日のように続く卒業式の練習にはへきえきしていたもので、次男さんの気持ちはよく分かるような気がします。
      またご長男さんの、中学校卒業を迎えるにあたっての心境も、よく分かるような気はします。
      私自身、小中高そして専門学校、何度も卒業の日を迎えましたが、涙を流したのは中学校の卒業式だけでした。
      それは、寂しさからくる涙というよりは、『義務教育、(義務)が終わった』という、安堵の涙だったように感じます。

      子供たちにとって、義務教育という9年はやはり大人への不満を抱えつつも、それに妥協しながら過ごしている自分への苛立ちも抱えている、そんな複雑な時期なのかもしれません。

      親や教師からしてみれば、卒業の日は一大イベントかもしれませんが、子供たち本人からしてみれば、押し付けられている感があるのかもしれません。
      自分自身そう感じた過去がありながらも、その当時の大人のようになってしまいがちです。
      私たち大人が、子供時代、卒業というものをどういう思いで迎えていたか、思い起こすことも大切なのかもしれません。(もちろんすべての児童、生徒が同じ心境とは限りませんが・・・)

      我が家の子供たちもさることながら、でめきんちゃんさんのお子様方の未来にも、幸多き未来が訪れることを切に願います。

      これからも我が家の日常をご覧いただければ幸いです。
      それでは失礼いたします。

  2. 自分の経験から
    自分だって中学2年になってからの登校拒否をきっかけに卒業式への参加を色々と考えた時期がありました。
    担当の教師から、学年主任から、そして友人達から「卒業式はどうする?」
    この言葉を聞かされるたびに焦りしかうまれなかったです。

    当時の自分の本心は「卒業式に参加できるのならしたいよ」でした。
    でも頭と体と心がうまく動かなくて卒業式には参加しませんでした。
    友達と一緒に式に出たい。けれど2年間という時間は当時にしてみればとても長く

    ・・・今の自分を同級生に見られたくない・・・

    この気持ちが一番強い恐怖でしたね。

    当時の卒業アルバムはもちろん欠席というかたちでの写真を撮り載せてもらいました。
    卒業証書も式が終わって午後から校長室で一人の卒業式をしていただき受け取りました。
    けれどアルバムも卒業証書もそのどちらも今ですら見たくはないです。
    普通に学校生活を送ることが出きた人達にとって卒業アルバムや文集などは良い想い出として成長してから見て笑顔になれるものかもしれませんがね。

    本人が納得いかない卒業式や卒業アルバム・卒業文集。それらは苦の想い出の形でしか残らないと思います。
    (もちろん、人それぞれの心は違うので皆が皆ではないと思いますが)

    小学校生活を6年間終えた事だけでもすばらしい事ではないでしょうか。
    もし自分が親になり子供が同じように卒業を迎えたのならば純粋に
    「こんなにも成長したんだな!親としてこれほど嬉しい事はないよ。おめでとう!」
    その言葉だけをかけてあげたいと思います。

    姪っ子の小学校卒業に僕は心から「おめでとう」を伝えます。

    長男も、次男も、長女も、次女も、三男も、
    君にしか見れなかった「過去」・君にしか見れない「今」・君にしか見ていけない「未来」があるんだよ。
    僕は叔父として君にしか見れない人生を陰ながらそっと支えられたらと思っています。

  3. 「最後に決めるのは本人たちであり、それを尊重し奔走するのが親の務めだと思います。」

    とても共感しました。

    昨年のご長男の卒業式の記事も読ませて頂いて、ご長男そして奥様の心の痛みが伝わってきて、言葉がみつかりません。
    先生の言葉、行動が、子供と保護者を深く傷つけることがあまりにも多すぎる現状。
    我が子も不登校になってからもまだ、担任の言葉と行動に心を痛めてきました。
    学校って何なんだろう。
    学校が本来守るべきものは子供であるのに、自分たちの立場とか仲間を守り、何かかけ離れている現実を私はどうしても感じてしまいます。

    弟さんのコメント、とても心に響きました。
    「君にしか見れなかった「過去」・君にしか見れない「今」・君にしか見ていけない「未来」があるんだよ。」
    素敵な言葉ですね。
    イラストも拝見させて頂きましたが、とても温かくて癒されました。

    Twitterの方から霜田さん、そしてこちらのブログと出会うことができて光栄に思っています。ありがとうございます。
    こんなに素敵なお父様、叔父様がいてくれて、子供さんたちは幸せですね。
    これからも更新を楽しみにしています。

    1. ままあるめりあさんへ
      いつも、ブログを読んでいただきありがとうございます。
      Twitter上でも、度々温かいお言葉をいただき、コチラも励みになります。

      先生方にも、それぞれの事情や思いもあるかと思いますが、ものの考え方や価値観などは、千差万別。私自身は、学校や先生の価値観、普通に登校している子供たちやその親御さん、そんな方々の価値観や考え方を否定するつもりもありませんし、それはそれで素晴らしいものだと思います。だとするならば、私たちのような家族の在り方も否定しないで頂きたい。学校へ赴くたびに、将来への不安をあおられるような気持になって帰ってくると、疲労感でいっぱいになってしまいます。

      ただ、『大丈夫だよ』『心配ない』そんな言葉が聞ければ、それだけで、子供たちは救われるのに、未来に希望が持てるのに、今それができるのは親だけのような気がします。そして、ますます子供と学校の距離が開いていっているような気がしてなりません。

      ままあるめりあさんのブログも度々拝見させていただいております。
      『HSC』というものを、私も勉強不足でよくわかりませんが、ひょっとしたら、うちの子たちも病院で診てもらったら、そういった結果を受けるのかもしれません。ただ、そうであったとしても、それを我が子の一つの特徴と捉え、個性と考え、未来に向かって進むことに変わりはないのかもしれません。
      ままあるめりあさんとお子さんの探す未来、紡いでいかれる未来をこれからも楽しみにしております。

      追記
      弟のイラスト、ご覧いただきありがとうございました。
      私も大好きな絵ばかりです。

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